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水琴窟の‟水音"を訪ねる旅(13)教林坊再び・・・
Posted on 2017.03.06(Category:水琴窟情報局)
昨日行って来ました。
久々の‟水琴窟探訪"です。
純朴水琴旅陶芸家の
奥田大器です。
近江八幡の教林坊。
2年前に続き教林坊再びです。
我が心の水琴窟の
水音を確認しに行って来ました。
侘しい・・・。
ただ侘しい・・・。
2年前より‟侘しさ"が少しは
理解出来る様になったと思いますので、
ですので2回繰り返します。
紅葉の時期ではないので
騒がしさ、雑音何もありません。
民家の奥にひっそりと有るお寺です。
‟美しい"という訳では無い。
自然の力強さが有る庭です。
自然と一体になっている庭、
そんな感じを強く受けます。
紅葉も‟力"が感じられるに
違いないと思います。
この道の突き当りが
‟水琴窟"です。
その水音は自然です。
竹筒から響く微かな水音です。
美しい気持ちが静まる音です。
しばらく待つと
キーンキーンと一定の間隔を開けて
耳に響いて来ます。
そんなに派手じゃなくて良いんだと
改めて感じさせてくれます。
やはり‟水琴窟"は周りの空間や
物語を含めて感じる物です。
『大器の器』の水琴窟(陶琴)は
逆説的にそれを目指しています。
陶琴を使う事により
周りの場や感じる物語を
‟改めて"作っていく
作品にしたいと思っています。
本当に微かに響く水の破裂音です。
2年前より小さくなっています。
でもそれが良いんだと思います。
庭の雰囲気、個性、物語、
全てが一体になっているので
違和感は感じません。
こんな‟教林坊"の様な
作品を作るのが目標です。
ひょっとしたら
水琴窟が答えではないかも知れません。
そんな事を感じました。
今回もしっかり拝ませて頂きました。
人々の想いや信仰を
受け続けるのが観音様です。
唯物論的な有る無いでは
解釈出来ない不思議な‟念"の様な物は
有ると僕は思います。
単純なオカルト的な事でなく
‟心"という解釈をしていきたいと
思っています。
陶器作品(商品)に感じる
迫力や嬉しさという物は
作り手や売り手のそんな想いが
詰まっているから
伝わる物だと思います。
又、想いを整理したい時には
行きたいと思います。
信楽からめっちゃ近いし。
※教林坊
【住所】
滋賀県近江八幡市安土町石寺1145
【電話】
0748-46-5400