“水琴窟跡”を見に多羅尾代官所跡に行って来ました。

20151129_tarao_01.jpg
信楽に歴史深い”水琴窟跡”が発見されました。
純朴水琴窟陶芸家の奥田大器です。

信楽の最南部、
三重と京都の県境部分に”多羅尾”という地区があります。
そこには江戸幕府が終わるまで
“多羅尾代官所”という行政府が置かれていました。

この代官所、山城や木津の天領、幕府直轄領の
領地経営を司る所だったみたいです。
現代でいう関西版の内閣府みたいなもんですかね。

その影響でこの多羅尾地区には昭和初期まで
1,000人近い人が住んでいたらしいです。
今は山奥の田舎ですが・・・。

その多羅尾代官所跡地がこの秋、
整備されて一般公開されています。
しかも水琴窟っぽい物が出て来たらしいです。

これは行くしかないんで行って来ました。
20151129_tarao_02.jpg
これ陣屋跡です。
立派な石垣が築かれています。

いや、ほんとにね多羅尾って田舎なんですよ。
そんな所に行政府があったのが驚きです。
石高は10万石あったそうです。
けっこうでかい。
20151129_tarao_03.jpg
そしてこれが”水琴窟”です。
多羅尾代官所の玄関に設置されていたそうです。

これ詳しく説明すると、
“水琴窟”の原理を利用して来客を知らせる様に
なっていたそうです。
その上を踏んだら音が反響して響くみたいな。

とてもではないですがデイリーブログ一回だと
説明しきれません。
続きは”水琴窟情報局“の
『水琴窟の水音を訪ねる旅』で詳しくやります。
第11回からだいぶ間が開いてしまいました。
第12回は”多羅尾代官所跡”です。

何故、多羅尾に代官所が置かれたのか、
その辺りから書いていきます。

それでは本日はさいなら。

※多羅尾代官所の水琴窟はもうありませんが
『大器の器』の水琴窟の水音はこんな感じです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました