信楽に歴史深い”水琴窟跡”が発見されました。
純朴水琴窟陶芸家の奥田大器です。
信楽の最南部、
三重と京都の県境部分に”多羅尾”という地区があります。
そこには江戸幕府が終わるまで
“多羅尾代官所”という行政府が置かれていました。
この代官所、山城や木津の天領、幕府直轄領の
領地経営を司る所だったみたいです。
現代でいう関西版の内閣府みたいなもんですかね。
その影響でこの多羅尾地区には昭和初期まで
1,000人近い人が住んでいたらしいです。
今は山奥の田舎ですが・・・。
その多羅尾代官所跡地がこの秋、
整備されて一般公開されています。
しかも水琴窟っぽい物が出て来たらしいです。
これは行くしかないんで行って来ました。
これ陣屋跡です。
立派な石垣が築かれています。
いや、ほんとにね多羅尾って田舎なんですよ。
そんな所に行政府があったのが驚きです。
石高は10万石あったそうです。
けっこうでかい。
そしてこれが”水琴窟”です。
多羅尾代官所の玄関に設置されていたそうです。
これ詳しく説明すると、
“水琴窟”の原理を利用して来客を知らせる様に
なっていたそうです。
その上を踏んだら音が反響して響くみたいな。
とてもではないですがデイリーブログ一回だと
説明しきれません。
続きは”水琴窟情報局“の
『水琴窟の水音を訪ねる旅』で詳しくやります。
第11回からだいぶ間が開いてしまいました。
第12回は”多羅尾代官所跡”です。
何故、多羅尾に代官所が置かれたのか、
その辺りから書いていきます。
それでは本日はさいなら。
※多羅尾代官所の水琴窟はもうありませんが
『大器の器』の水琴窟の水音はこんな感じです。
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